「世界でいちばん有名な絵」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのがレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》です。ところが、この絵が今のように世界中で知られるようになったきっかけは、意外な事件だったといわれています。1911年、モナ・リザはルーヴル美術館から盗まれ、2年以上も行方が分からなくなりました。
この記事では、盗難事件の流れと、犯人の動機、そして事件が絵の運命をどう変えたのかを紹介します。

事件の前のモナ・リザ
モナ・リザは、レオナルドが1503年ごろから描きはじめ、晩年まで手を入れ続けたとされる肖像画です。モデルはフィレンツェの商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザ・ゲラルディーニだという説が有力で、イタリアでは「ラ・ジョコンダ」とも呼ばれます。
絵は板(ポプラ材)に油彩で描かれています。縦80cmほどの、思ったより小さな絵です。
当時からルーヴル美術館の大切な所蔵品ではありましたが、美術の専門家のあいだで高く評価される名画の1つ、という位置づけでした。誰もが知っている絵になるのは、この事件のあとのことです。
1911年8月、絵が消えた
月曜日の朝
1911年8月21日は月曜日で、ルーヴル美術館の休館日でした。この日の朝、1人の男が館内からモナ・リザを壁から外し、額とガラスのケースを階段の脇に捨てて、絵だけを持ち出しました。
男の名はヴィンチェンツォ・ペルージャ。イタリア出身のガラス職人で、少し前までルーヴル美術館で、絵を守るガラスのケースを取り付ける仕事をしていました。館内の作りや、職員の動きをよく知っていたのです。美術館の職人が着る白い上着を着ていたため、怪しまれなかったとされています。絵は上着の下に隠して運び出したといわれます。
誰も気づかなかった1日
驚くことに、絵がなくなったことに気づいたのは翌日の火曜日でした。モナ・リザを模写しようとやってきた画家が、壁に絵がないことを不思議に思い、係員にたずねました。係員は「写真の撮影のために運び出しているのだろう」と考え、すぐには騒ぎになりませんでした。
昼すぎになって、ようやく盗まれたことが分かります。美術館は1週間ほど閉館し、警察が館内を調べました。
疑われた詩人と画家
捜査は難航し、意外な人物にも疑いがかかりました。詩人のギヨーム・アポリネールが逮捕され、友人だった若き日のパブロ・ピカソも取り調べを受けています。アポリネールの知人が、以前ルーヴル美術館から小さな像を持ち出していたことが理由でした。2人とも、モナ・リザの盗難には関係がなく、疑いは晴れています。
2年後、フィレンツェで見つかる
「レオナルド」と名乗る手紙
ペルージャは、盗んだ絵をパリの自分の部屋に隠していました。トランクの底に入れていたとされています。
1913年の秋、フィレンツェの美術商アルフレード・ジェーリのもとに、「レオナルド」と名乗る人物から手紙が届きます。モナ・リザをイタリアに返したい、という内容でした。
12月、ペルージャは絵を持ってフィレンツェに現れます。ジェーリはウフィツィ美術館の館長ジョヴァンニ・ポッジと一緒に、宿の部屋で絵を確かめました。裏の印などから本物だと分かり、ペルージャはその場で逮捕されました。
イタリアでの「凱旋」
見つかったモナ・リザは、すぐにはフランスへ戻りませんでした。フィレンツェのウフィツィ美術館、ローマ、ミラノで展示され、大勢の人が見に来ました。そのあと1914年の初めに、ルーヴル美術館へ戻っています。
犯人の動機
ペルージャは裁判で、「ナポレオンがイタリアから奪った絵を、祖国に取り戻したかった」と話しました。
しかし、これは思い違いでした。モナ・リザは、レオナルド自身が晩年にフランスへ持っていった絵です。レオナルドはフランス王フランソワ1世に招かれてフランスで暮らし、亡くなるまで手元にいくつかの絵を置いていました。モナ・リザは、そのあとフランス王家のものになったと考えられています。
レオナルドが最後まで持っていたとされる絵には、ほかに次のような作品があり、今はどれもルーヴル美術館にあります。


ペルージャの「祖国のため」という話には、絵を売ってお金にしようとしていたのではないか、という見方もあります。イタリアでは英雄のように扱う人もいて、刑は1年あまりの禁錮で、のちに7か月ほどに短くなりました。
また、事件から20年ほどたって、「本当の黒幕は別にいて、偽物を何枚も売りさばいた」という話が雑誌に載りました。話としてはおもしろいのですが、確かな証拠はなく、作り話だと考えられています。
事件がモナ・リザを有名にした
盗難の知らせは、新聞を通じて世界中に広まりました。絵の写真が何度も紙面に載り、それまで美術に関心がなかった人も、モナ・リザの顔を覚えることになります。
閉館が明けたルーヴル美術館には、絵がかかっていた壁の「空いた場所」を見るために、人が集まったといわれています。絵がないのに、人が見に来たのです。
戻ってきたモナ・リザは、もう「名画の1つ」ではなく、「世界でいちばん有名な絵」になっていました。それからあとも、モナ・リザには何度か災難がありました。石や酸を投げつけられたこともあり、今は防弾ガラスのケースの中に展示されています。
1974年には東京国立博物館で展示され、多くの人が長い行列をつくりました。日本でモナ・リザが広く知られたのは、このときの展示がきっかけの1つです。
まとめ
- 1911年8月21日、ルーヴル美術館の元職人ヴィンチェンツォ・ペルージャが、モナ・リザを盗み出しました
- 絵は2年あまりパリの部屋に隠され、1913年12月にフィレンツェで見つかりました
- 犯人は「イタリアに返すため」と話しましたが、モナ・リザはレオナルド自身がフランスに持っていった絵でした
- この事件で、モナ・リザは世界中に知られる絵になりました
ルーヴル美術館でモナ・リザの前に立つと、いつも大勢の人だかりができています。その人気の始まりに、こんな事件があったことを思い出しながら見ると、少し違った見え方がするかもしれません。
アイキャッチ画像:モナ・リザ(Louvre Museum / Wikimedia Commons (Public domain))