あまりに美しく生まれたために女神の怒りを買った人間の娘プシュケと、彼女に恋をしてしまった愛の神エロス。この物語は、2世紀のローマの作家アプレイウスの小説『黄金のロバ』の中で語られる一話です。原作ではローマ神話の名前(ウェヌス、クピド、ユピテル)で書かれていますが、ここではギリシャ神話の名前で紹介します。
女神より美しい娘
ある国の王に、3人の娘がいました。中でも末娘のプシュケは、言葉では言い表せないほどの美しさでした。うわさを聞いた人々は遠くから彼女を見に集まり、まるで女神のように拝むようになります。そのうち、愛と美の女神アフロディテの神殿には誰も来なくなってしまいました。
怒ったアフロディテは、息子のエロスを呼びます。「あの娘に矢を射て、この世でいちばんみじめな男に恋をさせておしまい」。
山の上の婚礼
一方、プシュケは誰からも美しいとほめられるのに、結婚を申し込む人が一人も現れませんでした。心配した王がアポロンの神託をうかがうと、恐ろしい答えが返ってきます。「娘を死者の装いで山の頂に置け。夫となるのは人間ではない。神々さえ恐れる、翼のある怪物だ」。
王と人々は泣きながら、葬列のような婚礼の行列でプシュケを山の上へ送り、一人残して去っていきました。

姿の見えない夫
岩の上で震えていたプシュケを、西風の神ゼピュロスがやさしく抱き上げ、花の咲く谷へと運びました。そこには金と宝石で飾られた宮殿があり、姿の見えない召使いたちが、声だけで彼女をもてなしました。
夜になると、夫がやって来ます。夫はやさしく、プシュケはすぐに彼を愛するようになりました。ただ夫は、夜明け前には必ず去ってしまい、ひとつだけ約束をさせます。「私の顔を見ようとしてはいけない」。
実はこの夫こそ、エロスでした。母の言いつけでプシュケのもとへ来たエロスは、彼女を一目見て、自分が恋に落ちてしまったのです。

ランプの灯り
やがてプシュケは、家族を恋しがるようになります。夫に頼んで、姉たちを宮殿に招くことを許してもらいました。ところが、妹のぜいたくな暮らしを見た姉たちは、ねたましさでいっぱいになります。「あなたの夫は、神託のとおり大きな蛇よ。いつかあなたを食べてしまうわ。眠っている間にランプで照らして、刃物で首を切りなさい」。
迷った末に、プシュケはその夜、ランプと刃物を手に眠る夫に近づきます。灯りに照らされたのは、怪物ではなく、翼を持つ美しい若者でした。見とれたプシュケは、そばにあった矢に指を触れて傷つけ、エロスにますます深い恋をします。そのとき、ランプから熱い油が一滴、エロスの肩に落ちました。
目を覚ましたエロスは、すべてを悟ります。「愛は、疑いと一緒には住めないのだ」。そう言い残して、エロスは飛び去り、宮殿も消えてしまいました。
アフロディテの難題
夫を探してさまよったプシュケは、どの女神にも助けてもらえず、とうとう自分からアフロディテのもとへ出向きます。アフロディテは彼女を責め立て、次々と難題を出しました。
- 混ざった穀物を一晩で分ける:麦、大麦、粟、豆などが山のように混ぜられていました。哀れに思った蟻たちが集まり、種類ごとに分けてくれました
- 金の羊毛を取ってくる:川べりの羊たちは、昼は気が荒く人を殺すほどでした。川辺の葦がささやき、羊が休む夕方に、茂みに引っかかった毛を集めればよいと教えてくれました
- 冥界の川スティュクスの水を汲む:水は竜が守る険しい崖から流れ落ちていました。ゼウスの鷲が飛んで来て、代わりに水を汲んでくれました
冥界への旅と、黄金の箱
最後の難題は、冥界の女王ペルセポネのもとへ行き、その美しさを少し小箱に分けてもらってくることでした。生きたまま冥界へ行く方法など、あるはずがありません。死ぬしかないと思ったプシュケは、高い塔から身を投げようとします。
そのとき、塔が語りかけ、冥界への道を教えてくれました。渡し守カロンに払う銀貨を口にくわえ、番犬ケルベロスに与える菓子を両手に持っていくこと。途中で助けを求められても応じないこと。そして、もらった箱は決して開けないこと。
プシュケは教えのとおりにして、無事に箱を受け取り、地上へ戻ってきました。けれども、ここで心が揺れます。「この美しさを少しだけ使えば、あの人にもう一度愛してもらえるかもしれない」。箱を開けると、中に入っていたのは美しさではなく、冥界の深い眠りでした。プシュケはその場に倒れ、死んだように眠り込んでしまいます。

神々の婚礼
やけどの治ったエロスは、プシュケを忘れられずにいました。母の館を抜け出して飛んで行き、眠りを集めて箱に戻すと、矢の先でそっとプシュケを起こします。
エロスはゼウスのもとへ行き、プシュケとの結婚を認めてほしいと願いました。ゼウスは神々を集め、ヘルメスにプシュケを天に連れて来させると、神々の飲み物アンブロシアを与えます。これを飲んだプシュケは不死の身となり、エロスの正式な妻として迎えられました。盛大な婚礼ではアフロディテも機嫌を直して踊り、やがてふたりの間には娘が生まれます。娘の名はウォルプタス、「喜び」という意味です。
絵画の中のこの物語
この物語は、ルネサンスのラファエロがローマの館の天井に描いて以来、たくさんの画家に描かれてきました。とくに好まれたのは、ランプでエロスの顔を照らす場面、ゼピュロスやエロスに抱かれて空を運ばれる場面、そしてふたりが寄り添う場面です。上のジェラールの『アモルとプシュケ』では、プシュケの頭上に蝶が舞っています。蝶は、プシュケ(魂)のしるしです。







