16世紀のイタリアの巨匠ティツィアーノが、スペイン王フェリペ2世のために描いた「ポエジー(詩的絵画)」連作。神話の場面を詩のように美しく描いたこのシリーズには、狩りと月の女神ディアナを主題にした2点があります。さらにティツィアーノは、その物語の結末を描いた「アクタイオンの死」も手がけました。今回はこの3点を中心に、ティツィアーノが描いたディアナの物語を見ていきます。
「ポエジー」とは何か
「ポエジー(poesie)」は、古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』を主な題材に、物語性豊かに描かれた絵画群です。ティツィアーノは1550年代から1560年代の初めにかけて、スペイン王フェリペ2世に宛てて6点の「ポエジー」を制作しました。
6点のうち「ディアナとアクタイオン」と「ディアナとカリスト」は、並べて飾ることを考えて一緒に描かれた対の作品です。背景の風景や手前の小川が、2枚の間でつながって見えるように作られています。「アクタイオンの死」は「ディアナとアクタイオン」の続きにあたる絵ですが、フェリペ2世には届けられず、6点には数えられません。

「ディアナとアクタイオン」— 秘密の目撃
物語の発端となる場面です。若い猟師アクタイオンが、ニンフたちと水浴する女神ディアナの姿を偶然目にしてしまう瞬間が描かれています。
画面の左から踏み込んだアクタイオンは、赤い布を押しのけ、驚いて両手を上げています。ニンフたちが慌てて身を隠そうとする中、右側に座るディアナは、侍女に体を覆われながら侵入者に横目を向けています。その視線は、このあとの恐ろしい罰を予告しているかのようです。ティツィアーノは劇的な瞬間を、まるで舞台のように演出しました。金色や朱色の光、岩や布の描写、そして人物たちの動き——すべてが見る者をその場に引き込みます。
この作品はスコットランド国立美術館とロンドン・ナショナル・ギャラリーが2009年に共同で購入したことで大きな話題になりました。
「ディアナとカリスト」— ニンフたちの水辺で

こちらは、ディアナに仕えるニンフのカリストが妊娠していることが発覚する場面です。純潔の誓いを守ることを絶対の掟とするディアナは、カリストを追放します。
画面は小川をはさんで左右に分かれています。右側では、金色の天蓋の下に座るディアナが腕を伸ばし、カリストを指さして責めています。左側では、カリストが仲間のニンフたちに押さえられ、衣を脱がされて地面に倒れ込んでいます。
「ディアナとアクタイオン」と対になる作品として同時に制作され、2012年に同じ2館が共同で購入しました。いまは2点とも2館の共同所有で、ロンドンとエディンバラで交代で展示されています。緑や茶、青、金の色合いの中で、ニンフたちの白い肌と鮮やかな衣が際立ちます。
「アクタイオンの死」— 女神の罰の行方

物語の結末です。ディアナに鹿へと変えられたアクタイオンが、自分が連れてきた猟犬たちに襲われる場面が描かれています。
画面左では、手前に大きく踏み出したディアナが、矢を放った直後のように腕を引いています。よく見ると、弓の弦は描かれていません。右奥では、すでに鹿の頭になったアクタイオンが、犬たちに襲われています。『変身物語』でアクタイオンを死なせるのは猟犬たちで、女神が弓を引く姿はティツィアーノが加えた工夫と考えられています。女神の怒りと情け容赦のなさを、より強く印象づけています。
ティツィアーノが晩年の70歳を超えてなお手を入れ続けたとされるこの作品は、筆触が荒々しく、物語の終焉にふさわしい暗い迫力を持っています。完成していたのかどうかは、今も議論が分かれています。
ルーベンスやブーシェも描いたディアナ
ティツィアーノが描いたディアナの図像は、後世の画家たちに大きな影響を与えました。

17世紀のフランドルの巨匠ルーベンスも、ディアナと水浴の主題を好んで描きました。ルーベンスの作品は、登場人物の豊かな肉体と躍動的な動きが特徴的です。なお、この絵は1945年に火災で失われたとされ、今は白黒写真でしか見ることができません。同じ女神を描きながら、時代や画家の個性によって表現がこれほど変わるということに、美術の楽しさのひとつがあります。
まとめ
ティツィアーノのディアナ連作は、単なる神話の挿絵ではありません。描かれた瞬間の劇的な緊張感、色彩の豊かさ、そして3点の流れで語られる物語の力——これらが組み合わさって、400年以上を経たいまも見る人を引きつけ続けています。
「ディアナとアクタイオン」と「ディアナとカリスト」はロンドンとエディンバラで交代で展示され、「アクタイオンの死」はロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵しています。2012年には、ロンドンの展覧会で3点が一緒に展示されました。訪れる機会があれば、ぜひ実物の前で物語をたどってみてください。
アイキャッチ画像:ディアナとカリスト(National Gallery / Wikimedia Commons (Public domain))











